2013-11-13 第185回国会 衆議院 法務委員会 第6号
実は、少年院を仮退院した子供たち等々、幼少のころから家庭愛、家族愛に飢えている子供たちが多いというふうに聞いております。正直、生まれつきの障害なのか虐待による二次障害なのかわからないけれども、とにかく生きづらさをあらわしている子供が多くて、その少年一人をケアするのに、自立準備ホームの職員というか支援を行っている方々も、一人で一人を見ていかなくちゃいけない。スタッフの疲弊度が大きい。
実は、少年院を仮退院した子供たち等々、幼少のころから家庭愛、家族愛に飢えている子供たちが多いというふうに聞いております。正直、生まれつきの障害なのか虐待による二次障害なのかわからないけれども、とにかく生きづらさをあらわしている子供が多くて、その少年一人をケアするのに、自立準備ホームの職員というか支援を行っている方々も、一人で一人を見ていかなくちゃいけない。スタッフの疲弊度が大きい。
とあるように、家族は社会の基礎的単位であり、個人の幸福は家族円満、家庭愛和によるところが大きいと私は思います。 個人を絶対視する戦後の風潮の中で、家族の価値を軽視する、あるいは家族のきずなが薄れつつある。先祖を敬い、夫婦、親子、兄弟がきずなを大切に、助け合い、幸福な家庭をつくり子孫に継承していくのは、我が国の美風であると思います。
もしも、失礼ですけれども中島文部大臣であれば、たとえ家内がしたことであっても自分がしたんだと言ってこそ私は本来の夫婦愛であり、家庭愛であり、あ るいは職場で部下を思う気持ちであろうと思います。それが残念なことには、昨日いろいろな審議の中で、メンバーに入ったということが問い合わせがあったときでも、それは課長から上がってきたんだ、局長がしたことであって自分は決裁したにすぎないということ。
○国務大臣(遠藤要君) きょうは、各先生からもろもろの御質疑をちょうだいいたしておるわけでございますけれども、この問題は、先生御理解願ったとおり、子供の幸せという、子供の福祉のために、そしてやはり子供さんに家庭愛、そして父母に対する親子関係というものを徹底させたい、そういうような点で、現在の養子に関する法によっては不十分だという点からそのようなことに、法制審議会や何かでもしばしば議論されたことを御提案
それと、いままでの道徳教育の行き方がどうも少し偏っておるから、今度は親孝行あるいは家庭愛というのもうんと強調すべきだ。
それから人類普遍の原理というものは、教育基本法にもうたわれておるように、これはあらゆるところに見受けられますが、家庭愛から郷土愛、国家愛それから人類愛へつながるこの手順というか、道筋は私は抜けているように思う。これはまあそれぞれの見方で、いやそうではないとおっしゃるかもしれませんが、国家観念、国家を愛するということを遠慮しているように思うのは私だけではないというふうに私は思う。
それからもう一つ、先生は家庭愛、それから国家愛、そして人類愛ということをおっしゃいましたが、私はこれにつきましても、現在、わが国にいずれもが欠けているんではないかというふうに考える点で同じでございます。
しかし、Aの自然の中に生きる人間というものに対しては、私がさっきからいろいろ申し上げている愛情、人間愛、家庭愛、そういうことの教えがいまの教育の中になされない。
これは大へんけっこうな言葉で、家庭愛というようなものが大事なことは言うまでもございませんけれども、非行少年をつかまえまして、それをただ今まで通りの母の手元に戻すだけで、はたして解決ができるのかどうか。
こういう意味からいたしますと、こういうふうな非常に父性愛に燃えたところの著書が読まれるということが、社会の全般の父性愛、家庭愛を呼び起すことに相当貢献するものであると考えまして、表彰いたしたような次第であります。
あなたは父性愛とか家庭愛とおつしやいますが、その父性愛、家庭愛に関する文章として、参考までにもう一つ申し上げておきますが、「亡びぬものを」という本の中で、留守中における妻が一人で述懐しているというような形で「あの人は普通の村医で終る人ではない。きつと大きな人物になる。私のような教養のない農家の娘がくつついていては立身を妨げるばかりだ。
私は愛媛縣で司法保護委員、司法保護常務委員をして、司法保護に關することにも永らく與つておりまして、いろいろの役目を仰せ付かつておりますが、愛媛縣においてもそういふ人々に對して、家庭愛に親しまそうという積りで、私共二つ作つておるのであります。